ヨーロッパへの道のり
私が海外で働きたいと思ったのは、忘れもしない2002年に当時の会社の代表建築家・西森陸雄氏(師)の代理出張でオーストリア・ウィーンに行ったときでした。
このときにヨーロッパの町並みや、自然との調和、歴史と現代の調和など、ライン川などが優雅で、こういう世界があるのだな、と思い深く感動しました。このとき参加建築家(under35)という35才以下の建築家が集まり、今思えば、藤本壮介さんもいたし、塚本由晴さん、篠原聡子さん、手塚貴晴さん、千葉学さん、西沢大良さん等、そして原広司(ディレクターとして?)さんがいらして、皆でウィーンの日本大使館でランチを取り、街をねり歩きました。夕方パブで原先生が、「今日は私が奢ります!」と宣言して下さって、店を出る前に『財布忘れた~?!』笑と大声で仰って、誰とも無く「お金出しますよ~」って、そろそろ出したというような面白かったエピソードが思い起こされます。笑 当時ビックネームの人が多く、刺激的な中ご一緒させて戴きました。
そのウィーンあと、私は個別にオランダに友人(尾形嗣朗さん)がいたのでオランダに行きました。ここで初めてロッテルダムに行ったのでした。オランダの中でもロッテルダムはビルが多い街だと聞いていたのですが、緑もほどほどにあり、計画され広々していて、東京の高速道路の横のビルで働いていた当時の私には「とんでもなく、建築がボンボン建っている!」と思いました。建築の立ち方とデザインが明快だったんです。デザインレベルの高さを感じました。そして、友人が働いていたOMA(建築家レムコールハウス)に行きました。そこで日本から来ていた「白井宏昌さん」と挨拶を交わし、その夜は皆でホテルニューヨークに行って遅くまで二人と話をしました。このあと、白井宏昌さんとは2006年頃から2008年終わりまでロンドンでご一緒することになるのです。
翌日、自転車でロッテルダム巡りをしました。写真でみていた「クンストハル」(美術館)やNAI(オランダ建築家協会)や、キューブハウス、エラスムスブリッジやメカノーの建物があった気がします。
また、そのときに松岡聡さん(当時UNスタジオ)と顔合わせした記憶がありました。
いろいろ建築を見て帰国した私はヨーロッパへの羨望を強くしてゆき、翌年の2003年にヨーロッパに片道切符で渡るきっかけができたのでした。続く